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噴火する有珠山:2000年3月31日、群発地震が続く中ついに有珠山が24年ぶりに噴火しました。上の2枚の写真は、噴火後約1ヶ月が過ぎた頃の写真です。 有珠山と昭和新山:道央自動車道有珠山サービスエリアから見た眺めです。中央が有珠山、写真右の山が昭和新山です。有珠山の噴火がかなり沈静化しているのがわかります。 通行止めの国道230号線:虻田町の市街と洞爺湖温泉を結ぶ国道230号線は、今も寸断されています。現在、道道が仮の国道230号線として使用されています。噴火から一年後、国道230号線の通行止め箇所からは、火口から白い白煙が立ち上る様子が見て取れます(左端)。通行止め箇所の先では、土地が70mも隆起し、水たまるとともに、標識が傾いているのがわかります(中央)。取材に訪れていた記者が突然の噴火に驚き逃げ去った後に残された車が、噴火のすさまじさを語っています(右端)。
噴火記念公園と噴火口: 虻田町では噴火の記憶をとどめておくため、国道230号線沿いに噴火記念公園を作りました。公園からは噴火口から噴煙を上げる火口が望めます(左)。右の写真は金比羅火口です。自然の力強さと火山と共生していく姿を訪れる人々に訴えています。 写真はすべて噴火から1年後の様子で、現在噴煙はかなり治まっています。被害地の全貌:道路が寸断されたり、地形が変わったりしました。全容はここをクリック。 火口散策路から見た噴火の爪痕:虻田町では噴火被害の実態を後世に残すため、火口と被災した建物などをそのまま残し、西山と金比羅山に散策路をつくりました。そこから見た風景からは、自然の力のすごさを感じずにはいられません。西山火口散策路は噴火によって破壊された菓子工場や民家の側を通るルートが延長され、より火山の脅威を身近に実感できるようになりました。西山火口散策路の風景はここをクリック。 有珠山の周囲:有珠山の横にそびえる昭和新山は第二次大戦中に畑が隆起してできた火山です(左)。昭和新山の形成過程は、当時郵便局長をしていた三松正夫氏により記録され、その記録(三松ダイアグラム)は火山形成を探る上での貴重な資料となりました(中央は三松政夫氏の銅像)。昭和新山の麓の壮瞥町は、元横綱・北の湖のふるさとで、北の湖記念館は国技館をもした外観となっています(右)。 火口周辺を除いて立入禁止が解除され、観光客も戻りつつあります。一方、未だに1600人以上が避難生活をしています。一刻も早く街が元の状態に戻るよう祈っています。 |
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