蘇った奥尻

1993年7月、奥尻島を北海道南西沖地震が襲いました。
死者・行方不明者198名の大惨事におそわれた島は見事に復興し、新たな歴史を刻み続けています。
このコーナーでは蘇った島・奥尻をご案内します。
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Presented by きっちゃん(S.Y.)

INDEX

 北海道南西沖地震は1993年7月に起きました。震源は、北海道南西沖で、震源の深さは34km、マグニチュード7.8という大きな地震でした。



大壁画・SUMOON(サムーン)
 地震による崖崩れが何カ所も起きました。特にフェリーターミナルそば(奥尻地区)では、ホテル洋々荘裏の観音山が崖崩れを起こしてホテルが丸ごと飲み込まれ、29名もの人々が犠牲となりました。また、写真に写っているような灯油備蓄タンクも押し潰され灯油が流出しました。写真の大壁画は、“SUMOON(サムーン)”という名前で、洋々荘のあった位置の崖上に描かれたものです。40m四方のこの壁画は犠牲となった方々の供養と町の復興のシンボルとなるため奥尻の玄関口に当たるこの位置につくられたものです。デザインは一般公募で選ばれました。



灯台と時空翔
 奥尻島は地震発生から2〜3分後に津波の第1波がおそいました。特に南端の青苗地区は補足とがった遠浅の岬であったため、津波がブレーキをかけられてスピードが遅くなるとともに高さが増し、約30mにも達したと言われています。青苗地区を襲った津波はそのコースを変え、奥尻島を一周するようにおそっていきました。津波の直接被害とともに葛西による被害も相当なもので、市街地が壊滅状態となりました。写真に写っている灯台も地震によって倒壊しました。灯台横の黒いモニュメントは“時空翔”という慰霊碑で、この災害でなくなった198名の名前が刻まれています。
 青苗漁港には漁港で作業中の方や漁港を訪ねられた方々が万一、津波が発生した場合には防波堤で仕切られた漁港内から高架道路を経由して高台の避難場所へ導く一時避難場所として人工地盤が作られています。普段は広場や散策路として利用されています。



津波資料館
 南西沖地震では死者・行方不明者は198名にも達しました。青苗岬の先端部分は日本海中部地震と南西沖地震の二度にわたる被害を受けたため、住居が高台へと移転し、岬は公園となりました。公園には時空翔の他に津波資料館があり、地震の様子やそこから復興する奥尻の歩みを展示してあります。ぜひ一度訪れることをおすすめします。



津波の爪痕
 奥尻島全体が津波の被害を受けましたが、その津波の高さを物語るように島の何カ所かの崖には、津波が到達した高さが記されています。写真左上にはこの崖に津波が到達した高さ(23.8m)が示されています。

 

破壊された幌内温泉
 奥尻には湯ノ浜、神居脇、幌内の3つの温泉がありました。そのうち神威脇温泉と幌内温泉の被害が深刻で、中でも入り江に砂浜が広がっていた幌内温泉は地震のため破壊されて、廃業に至りました。現在も写真のように温泉がわいていますが、旅行者からはその存在すら忘れられつつあります。今なお残る地震の爪痕です。



賽の河原
 賽の河原は奥尻島の北の端・稲穂灯台の下にある霊場で道南五霊場の一つに数えられます。海難犠牲者、幼少死亡者などの慰霊の地として知られ、500年前に松前藩の祖・武田信広の一行が蝦夷地へ向かう途中で暴風雨を避けるために奥尻島に避難した際に見つけ丁重に法要を行ったと記録されています。なお、ここには南西沖地震でなくなった方の慰霊碑もあります。



宮津弁天宮
 宮津弁天宮は天保2年(1831年)漁師たちが番屋跡にニシンの大漁を祈願して建立したものです。



鍋釣岩(なべつるいわ)
 奥尻島のシンボルです。真ん中が浸食されて空洞になっている形が鍋のつるのようなのでこの名前が付いています。

 

うにまる
 全国から募集した21世紀へのメッセージをタイムカプセルにして埋めてあります。奥尻名産のウニをデザインしたモニュメントです。夜にはライトアップされて綺麗です。



湯ノ浜温泉緑館の丘からみた神威脇地区
 写真右中程の白い2階建ての建物が神威脇温泉です。神居脇はアイヌ語で神の居るところという意味です。2階の大浴場から眺める夕日が綺麗です。