![]() 津軽藩兵詰合の記念碑 宗谷岬に行く手前にある宗谷公園の一角にある碑です。今を去る200年前。帝政ロシアは不凍港(冬も凍らない港)を求めて、南進政策をとり、蝦夷地の近海にも出没していました。江戸幕府は松前藩を庄内藩預けとして一時的に直轄統治して、東北諸藩に蝦夷地の警護を命じました。藩士達は木々を切り開いて番屋(詰合)を築き、未開の地でけた外れな寒さと食糧不足に苦しみつつ国境を守っていました。ビタミン不足による壊血病による浮腫などで次々と故郷に帰ることなく尊い命を失っていきました。道北、道東には彼らのお墓が点在しています。江戸時代末期にはコーヒーが輸入されていましたが、一般庶民の口に入ることは無く、壊血病の特効薬として扱われていました。幕府は貴重なコーヒー豆を藩士達に薬として配給しましたが、それすら口にすること無く力つきた藩士も数多くいました(現在では壊血病に効果がないことがわかっています)。そのような歴史を刻むべく、この津軽藩兵詰合の記念碑はコーヒー豆をかたどっているのです。こうした貴い犠牲の上に今の北海道が成り立っていることを忘れてはいけないのです。
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