道北・早春紀行

厳しい寒さが和らぎ、今まさに春を迎えようという道北を旅しました。
御一緒にまだちょっと肌寒い早春の道北を旅してみましょう。
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Presented by きっちゃん(S.Y.)

INDEX

   

枝幸町の海岸から望む流氷:水平線上にこれから去ろうとしている流氷が見えます。そして浜には取り残された流氷が夕日を浴びて輝いていました。



クッチャロ湖に沈む夕陽:クッチャロ湖は、道北の浜頓別町にある周囲27kmの小さな湖です。1988年にラムサール条約の登録湿地に指定されました。特に白鳥の飛来地として有名です。そんな水鳥のオアシスに夕日が沈み、あたりをオレンジ色に染めていました。

 この後、浜頓別町のサイクリングターミナル・ウイングの温泉でつるつる度に感動し、さらにその日の宿(枝幸町のホテルニュー幸林)で味覚と温泉を満喫したのでした。枝幸町の郊外で夜に星を見ると、あのオリオン座が星々に埋まったように見え、いたく感動したのでありました。



 いよいよ道北の旅も二日目に突入。昨夜からの強い陸風で流氷は水平線の彼方へと姿を消しました。鹿も岸の近くにあった流氷達まで忽然と姿を消していたのです。流氷が一夜で消えるのを目にしたのはこれで2度目ですが、いつも自然のすごさに驚かされます。

 

 昨日、夕方に訪れたクッチャロ湖に行ってみるとなにやら鳥がたくさんいました。近づいてみると、白鳥の群でした。まさにクッチャロ湖は白鳥にとって天国なのでしょう。



日本最北の地・宗谷岬:天気が良ければ北東の水平線の彼方にサハリンが見えるとか。その距離僅か40km(国後島と北海道の最短距離とほぼ同じです)。国後は何度と無く見ているのですが、残念ながら私自身ここからサハリンを見たことはありません。でも、この時にはサハリンの南にあるモネロン島の島影を初めて見ることが出来ました。



宗谷岬の間宮林蔵像:サハリンと沿海州の間が海峡で隔てられていることを発見した江戸時代の探検家です。彼はここ稚内から探検の旅に出ました。



宗谷岬の歌碑:宗谷岬には、最北の春をつづった名曲・宗谷岬の歌碑があります。碑のそばによると、宗谷岬の歌が流れます。



北防波堤ドーム:北埠頭は樺太(現・サハリン)への連絡船の発着場として使われていました。北防波堤ドームは埠頭に通じる道路や鉄道などを高波から守る目的で昭和6年から昭和11年にかけて作られました。アーチ型の珍しい形が目を引き、CMのロケ地になりました。



稚泊航路記念碑:戦前の鉄道省が大正12年に稚内〜大泊(現・コルサコフ)間に連絡船を就航させました。昭和20年8月に終戦に伴って廃止されるまでの業績を讃える記念碑です。


利礼航路のフェリー:稚内港からはサハリンのコルサコフ行きの稚泊航路と利尻島・礼文島行きの利礼航路のフェリーが出ています。実は島に渡る予定はなかったのですが、利尻島にある温泉を極めたいことと、かつて日本最北の稚内温泉・童夢から見た利尻の島影が忘れられず、思い切ってフェリー初挑戦を決意しました。行くなら宿泊料金が安く、混雑しないオフシーズンが好都合でもありました。船は小さく、車をバックで入れねばなりませんでしたが、フェリー会社の方が懇切丁寧に誘導してくれました。

 利尻まで1時間40分の船旅は揺れることもなく、極めて快適でした。潮風を感じながら海切りにかすむ利尻富士が近づくにつれ、未踏の地への期待は一気に高まりました。ちなみに稚内駅の案内書で利尻のパンフレットをもらい、利尻富士町の公営温泉の位置を確認するとともに、温泉宿をしっかりと予約しました。



利尻富士町・鴛泊港(おしどまりこう):利尻島の表玄関です。ようこそ利尻島へという大きな看板が利尻に来たことを実感させます。

 宿に荷物を下ろし、早速公営温泉巡りと利尻島一週の旅に出ました。利尻島は周囲30キロちょっと。道道で一周しても30キロ弱です。

 

利尻富士の夕景:利尻は真ん中に利尻富士がそびえ立つ本当に小さな島ですが、利尻富士は見る角度によって、見る時刻によって様々な表情を見せてくれます。左は利尻富士町(利尻島の東側の街)の南端から見た利尻富士の夕景、左は利尻町(利尻島の西側の街)から見た利尻富士です。同じ山なのにその表情が微妙に違います。

 そしてこの後、利尻富士町の二つの公営温泉を制覇、宿に帰り冬の味覚タコシャブやカニ、ガヤの卵の醤油漬け、カジカ汁など海の幸に舌鼓。ビールを引っかけた後温泉に入って熟睡したのでした。

 

朝の利尻富士:フェリー出航までの僅かな時間を利用して朝の利尻富士見物に出ました。美しい稜線と真っ白に雪化粧した山肌は見る物を虜にします。

 実は冬に閉鎖されている登山道の先には姫沼という神秘的な沼があり、水面に映る逆さ富士や美しい植物が見られます。ぜひ夏か秋に来てみてみたいものです!



フェリーから見る利尻富士:帰りの船から利尻富士に別れを告げ旅の余韻に浸りました。



フェリーから見る野寒布岬:野寒布(ノシャップ)岬は稚内の西橋の岬で地名はアイヌ語の“ノッ・シャム”(岬がアゴのように突き出たところ、波のくだける場所)に由来します。よく間違われるのですが根室市の納沙布(のさっぷ)岬とは別の岬です。



津軽藩兵詰合の記念碑:利尻から戻って早々に宗谷岬に行く手前にある宗谷公園を訪れました。来る人もほとんどいない雪に覆われた公園を訪れたのはこの碑が見たかったのです。今を去る200年前。帝政ロシアは不凍港(冬も凍らない港)を求めて、南進政策をとり、蝦夷地の近海にも出没していました。江戸幕府は松前藩を庄内藩預けとして一時的に直轄統治して、東北諸藩に蝦夷地の警護を命じました。藩士達は木々を切り開いて番屋(詰合)を築き、未開の地でけた外れな寒さと食糧不足に苦しみつつ国境を守っていました。ビタミン不足による壊血病による浮腫などで次々と故郷に帰ることなく尊い命を失っていきました。道北、道東には彼らのお墓が点在しています。江戸時代末期にはコーヒーが輸入されていましたが、一般庶民の口に入ることは無く、壊血病の特効薬として扱われていました。幕府は貴重なコーヒー豆を藩士達に薬として配給しましたが、それすら口にすること無く力つきた藩士も数多くいました(現在では壊血病に効果がないことがわかっています)。そのような歴史を刻むべく、この津軽藩兵詰合の記念碑はコーヒー豆をかたどっているのです。こうした貴い犠牲の上に今の北海道が成り立っていることを忘れてはいけないのです。