新川を歩く
Shunta
 明け方まで降っていた雨がからりとあがり、ついでに大気中のチリも落ちたのか、朝 から抜けるような青空が広がった。今回は、北区と西区の境界となっている「新川」に 沿って最初から最後まで見る目的で、片道12キロ、往復24キロの距離を自転車で踏 破することにした。10月3日11時頃に自宅を出た。

 「新川」は、明治19年から22年にかけ、監獄の囚人達によって掘削された12キ ロの人工河川である。この由来は明治18年、後の枢密顧問官、金子堅太郎の北海道三 県巡視復命書の献策に基づき着手された。翌明治19年北海道庁が設置され、金子の献 策によって、道路橋梁費と並んで排水工事費がはじめて予算項目として認められた。

 当時の記録(「北海道史編纂資料・通記雑纂」)によると、「札幌篠路村等の水害を 免れ近傍の湿地乾燥して琴似篠路両村に屯田兵村を設くることを得。札幌茨戸間は概ね 耕地戸なり戸口漸次増殖し、江別村、下手稲村、亀田大野間、漁村等も従来不毛に属し たる湿地漸々変じて田畑となり、花畔・軽川間は只に耕地を得たるのみならず、軽川停 車場寄り石狩地方に車輛を通ずるを得て大いに便利を増し、野津幌、厚別、望月寒等の 排水は豊平川の水をさえぎる等、之皆排水工事の功なりとす」とその効果の程が謳われ ている。要は当時の湿地帯からの排水が目的であった。

 札幌競馬場の北側から一直線に石狩湾に注ぐこの運河は、起点を石山通の延長部から 新川通に至る幹線道路の下の暗渠を流れる「サクシュコトニ川」が再び地上に顔を出し た北22西15の「新川通」の上下分岐空地の端から、「桑園新川」という名前で始ま る。桑園新川は、元々は、大正5年発行の5万分の一地形図では、植物園、知事公館内 の泉(アイヌ語でメムという)を水源とし、鉄道線路下を潜って北大農場の西縁を北流 し新川に注ぐ川であったが、現在はメムの水源も枯れて今はない。私が小学校の頃は、 通称「じゃぶじゃぶ川」と呼ばれていて、まだ清らかで水量もあったので付近の人々に 利用されていた。昭和20年代までサケが上ってきたことがあるという。

 桑園新川は、すぐに「八軒橋」を潜って流下する「琴似川」と合流し、川の名前もそ ちらに譲ってしまう。琴似川は、宮の森シャンツェの付近の沢筋を水源として宮の森地 区を貫流し、界川、円山川を併せて新川に注いでいる。古く明治の頃は、北大構内を流 れるサクシュコトニ川もこの川に合流し、小刻みの蛇行を続けながら、麻生の北から創 成川を横切って篠路から伏籠川に流れ込んでいたため、下流部は篠路川とも呼ばれてい たようだ。現在でも、百合が原公園の南側以降に残っている水流を「旧琴似川」と呼ん でいる。

 琴似川となって水量は大きく増えたのだが、護岸の中の河原はヨシ、オオイタドリ、 エゾヨモギ、その他名も知れぬ雑草が繁茂して川面も見えぬほどだ。はじめのうちは川 を挟んで平行に伸びる新川通の歩道を自転車で進んで行くが、「新川橋」の袂には大正 時代の土地の草相撲の大関を張った「力士若勇の碑」がある。立派な碑石は当時強かっ ただけではなく、土地への貢献も大きい慕われる人物であったことを物語る。今では娯 楽も増えて札幌では草相撲開催の話はとんと聞かないようになった。

 新川通に沿った歩道もしくは土手には、延長5キロにわたって桜の木が植樹されてお り、その名も「新川桜並木」として整備され、春の季節には延々と歩いて花見ができる ようだ。桜並木道は札幌にも沢山あって日本人はよっぽど桜花が好きなのであろう。北 国固有の花の咲く樹木はもっとあるのだから、いかにも芸のない話ではある。

 「新川橋」を過ぎてJR学園都市線のガード下を潜ると、新川右岸の堤防の下に遊歩 道が始まる。新川通の自動車の尽きぬ流れとともに走るよりは、ずっと気持ちが良い。 しかし、自転車を乗り入れる斜路がなく、仕方がないので自転車を抱えて堤防に設けら れた階段を降りるしかない。そもそも、この遊歩道は、人道オンリーで自転車の乗り入 れを想定していないような設計だ。遊歩道でウォーキングを楽しむ人が少ないのだから、 自転車の乗り入れも公式に認めて、理想的な人・自転車共存のロードとしてもらいたい ものだ。ここは距離も長く平坦で理想的なサイクリングロードになると思う。

 「八軒6号橋」の少し手前の向こう岸の護岸に開いた水門から多量の水が常時吐き出 されて新川に合流している。水門の背景には手稲山を遠景に負った「西部下水処理場」 の白いコンクリートの建物が座っている。恐らくこの水は下水処理後の上澄みと思うが 合流地点では川の表面が白濁して、余りよい景色ではない。しかし、こちら側の右岸の 水辺から釣りを楽しんでいる人がいるし、新川を今でも鮭が上ることを考え合わせると そう問題はないのであろう。新川筋ではこの日何人もの釣り人を見かけた。

 「札樽自動車道」の下を潜って先へ進み、「鴨居橋」を過ぎるとこれまで川の両側を 併走してきた新川通上下線は、右岸側に一本の道路に纏まる。次の「西陵橋」の下では 手稲山から流れ下ってきた「琴似発寒川」が合流する。川の名前が、ここからが公式に 「新川」となる。西陵橋から先の「天狗橋」の間の600mほどは、マガモの生息を尊 重して意識的に川の中州が残されている。この辺りから遊歩道の脇には、花壇と季節の 花々の植生が増えてきて目を楽しませてくれる。ハゼのような紅葉する低木、ハギの紅、 オオハンゴンソウの黄花、風が種を運んできたものか堤防斜面に根付いた鮮やかなルド ベキアの花、花の終わったバラやハマナスの大小の赤い実等々。

 「新川中央橋」の少し手前で対岸から「中の川」が合流してくる。現在、ここの護岸 工事が行なわれているようで、白いビニールシートが被せられていた。こちら岸の土手 からは、ラッパ状の開口部を持つ朱色の4連管がむき出しで顔を覗かせている。以前に この辺りに来た時に調べたところ、これは土手の反対側の低地の「発寒古川」が洪水に なった場合に、排水ポンプで新川に排水するための施設の一部である。何も知らないと びっくりする施設ではある。

 新川に架かる橋は、何とも素っ気のない実用一点張りの橋が多い中、唯一、「前田森 林公園橋」だけは、公園入口の玄関先だけあって、すっきりと白ペイントも鮮やかな、 斜張橋である。小ぎれいなとんがり屋根を持つ橋脇の水門ゲート操作小屋も白一色に塗 られて青空と川岸の植生の緑とよく調和している。川の向こう岸に目を転ずれば、北海 道工業大学の校舎が見える。

 国道337号(道央新道)を載せる「第一新川橋」の手前500mでは、曙団地の高 層住宅を背景にして対岸の水門からは、「手稲土功川」が合流する。この小河川は大正 末期に開削された「土功排水」が前身で、水掃けの悪かった手稲稲穂、曙両地区の農地 排水を目的としたが、現在では宅地化が急速に進み、道央新道を挟んだ新川縁に大きな 「手稲下水処理場」が出来ており、いずれ下水道が整備されると消えてゆく運命かも知 れない。また、この辺りの両岸には、新川で唯一の張出し展望デッキも設置されている。

 新川通は、道央新道と接続する第一新川橋までで終わり、ここから新川河口までもう 2キロとわずかの距離になる。しかし、行政区分は、この先の右岸は小樽市の管轄にな っているせいか、遊歩道はおろか舗装道路すらなく、ただ川岸に沿って幅広いダートな 砂利道が伸びている。多少自転車の乗り心地は悪いが、もう少しで海が見れるとの気持 ちに励まされて先へ進む。

 この辺りに来るとさすがに河口近くの雰囲気が漂い、見晴らしを遮るものもない広々 とした川面と、その向こう岸には最新鋭の「札幌市山口廃棄物処理場・焼却センター」 の巨大な純白の建築物群と高い煙突が見えてくる。風向きのためか、海からの水流のた めか、川面には上げ潮のような方向のさざ波が印されているのが印象的であった。

 対岸の廃棄物処理場の横からは、手稲金山からの川水に山口運河などの排水溝の水を 寄せ集めた「濁川」が合流してくる。続いてさらに新川への最後の合流河川「清川」を 加えて新川の流れの旅は終わる。対岸から河口に架かる完成半ばで打ち捨てられた橋が うら寂しげに川面に映る。思えば遠くまで来たものだ。

 新川の流路は河口まで500mのこの最後の時点で、これまでの北西方向一直線から 真北に向きを変えるが、新川掘削の終わった明治29年の地形図を見ても現在と同じ状 態なので、元々自然の濁川、清川の河口の跡を新川運河が利用しているともいえる。こ れは石狩湾の湾岸流による砂の動きが河口の方向を東側へとズレさせた作用によると思 われる。

 河口の近くには、各種のモーターボートの陸揚げ置き場があって、週末には愛好者が どっと押し寄せてくるのだろうが、休日以外は人影もなくひっそりと静まり返って、ま るで大型廃棄物捨て場のような状態だ。今日は火曜日、それでもマイカーにトレーラー で引っ張ってきたボートを河口に浮かべて楽しむ人、海の眺めを楽しみに立ち寄ったマ イカー、バイクに乗った人などが、ちらほらと姿を見せる。さすがに自転車で来たのは 私一人だ。

 ついに新川河口海岸に着く。知る限り銭函以東の石狩湾海岸は全て砂浜との認識があ ったので、河口右岸に沿って多数の大きな丸石が砂の中にゴロゴロと転がっているのに は、まったく驚いた。こんなところに一人の力では動かせない丸石が局所的に集ってい るのは、沿岸流の漂砂から河口の閉塞を防御する目的で造られた防波堤の材料の成れの 果てではないかと思っている。当然、丸石はどこか他の場所からここへ工事用に運ばれ てきたのだ。その根拠として、丸石の群の先には海岸から海に張り出した数本の朽ちた 杭の跡が今だに残っている。

 河口の丸石の一つに腰掛けて、青空の下の茫洋たる日本海を眺めながら持参したおに ぎりを食す。絶景かな、12キロのサイクリングの疲れなど吹っ飛んでしまう。食後し ばしその辺りをブラブラと散策していたら、大きな二羽のトンビが丸石に舞い降りて休 憩を取っている。また、近くの砂堆にはかもめの群れも羽を休めており、世は天下泰平 でのんびりと時が廻つている。

 付近地形図によると、この近くには海岸砂丘の裏側(「後背湿地」という)の溜まり 水が集った池沼があるはずなので、自転車を置いて訪ねてみた。はまぼうふう、はまな す、ススキなどの低い砂丘植生を掻き分けて行くと、地形図に表記された一つの池沼が 薄蒼い手稲連山を背景として、空の青さを映しながら静謐の昼下がりの中に横たわって いた。



(2006.10.03. 新川水系のスタート「桑園新川」:右から琴似川が合流してくる)

(2006.10.03. 「新川中央橋」を振り返る:川岸の見通しはよく、新川はゆうゆうと流れる)

(2006.10.03. 新川河口:祝津高島岬を背景に二羽のトンビと石狩湾)

(2006.10.03. 手稲連山を背景に河口石狩湾砂丘の後背湿地の静謐な沼の佇まい)
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