月寒・八紘学園農場を歩く
Shunta
 秋の爽やかな晴天の下、地下鉄東豊線「月寒中央駅」で下車する。駅の北側の1番出 口から地上に出るとそこは「月寒中央公園」の脇になる。この地は、明治33年歩兵第 25連隊の将校会所の跡と案内板に記されている。昭和30年代前半までは豊平町役場 の所在地であったが、札幌市と合併した現在は、公園横に「月寒公民館」が置かれてい る。

 「月寒(つきさむ:古くは、つきさっぷと呼んだ:語源はアイヌ語だが、その意味に は諸説ある)」の歴史は、明治4年に岩手県から44戸の入植で始まり、明治29年に は陸軍第7師団歩兵25連隊が置かれ、その後の羊が丘・月寒種牛牧場、豊平町役場の 設置など豊平町の中心として発展した。終戦後は、国道36号線(弾丸道路)の舗装完 成によって交通量が飛躍的に増加した。

 交通量の多い国道36号線を避けて一本東側の道を南に歩き出す。「水源地通」を横 断すると広い「月寒体育館」の敷地がある。体育館の周囲には、テニスコートやサッカ ー場も付属している。スポーツ施設の脇の桜並木の道をまっすぐ進み、今度は「白石藻 岩通」を横断すると、ほどなく西岡水源地から流れ下る「月寒川」とぶつかる。しゃれ た名前の「あやめ野小学校」の裏の人道橋を渡って川を越えると、もう、八紘学園の広 大な敷地の一部だ。

 月寒ゴルフの跡地を迂回し「福住駅」の方から北東に向けて道を進むと「菜洗神社」 の横に出る。この神社は、江戸に「菜洗」という地名があったらしく、現在の千葉県市 川市で旧拓銀の頭取岡田信氏が個人所有していた広大な敷地内に神社があったが、岡田 氏死去の後引き取り手がないまま放置されていたところ、当時知り合いだった八紘学園 の園長がこれを引き取り、昭和15年に北海道に移設したと伝えられる。

 社殿は木造の小振りで、屋根の千木もなく階も付いていないのだが、銅板葺きの屋根、 二対四個の石灯篭、参道に敷き詰められた赤鉄兵石、鳥居脇左右一対のオンコの老木 (直径1mもある)など、なかなかどうして凝った造りだ。特に、社殿前の一対の軟石 製の狛犬は、江戸で当時流行った流れる巻き髪が特徴で、足元の手毬の透かし彫りがこ れまたすばらしい細工で、中にもう一つ玉が入っている。かなりの腕利きの職人の作と 思われ、一見の価値は十分にある。

 神社前の道路を横断して現在使われていない牧舎の横を農場に入ってすぐ、白樺の若 木に囲まれた角池がある。ここで番のガチョウが飼育されているのだが、私が池に近づ いて行くと大きなオスが池から揚がってきて好戦的に威嚇する。鳥と喧嘩する気はない のでたじたじと後退したが、その気迫に押されて結構恐怖感もあった。これは牧歌的風 景と相容れない。

 八紘学園農地内を斜めに横切ってポプラと白樺の混交した並木道を進む。広大な牧草 地では、付近の幼稚園児の遠足なのか、お揃いの彩り鮮やかな帽子とスモックの可愛い 集団の背景に「月寒グリーンドーム」(産業共進施設)の円盤型白天井が青空に映えて いる。八紘学園農場は、初夏の頃の「花菖蒲」で有名なのだが、この秋の時期の牧歌的 な佇まいも捨てがたい。特に、大札幌の中心部にこれほど広大な農地があって市民も散 策できるのは有難いことと思う。

 農場を横断する「北野通」との交叉点を先に進み、牛舎と放牧されたホルスタインの 一群を眺めながら、道はやや下り勾配となって「ラウネナイ川」の川筋に達する。この 辺りの広い牧草地の脇には花菖蒲の群落が植え込まれ、「菖蒲園」ほどではなくとも季 節には十分に花を楽しめそうだ。ラウネナイ川は、羊が丘の農業試験場内を水源とし、 アイヌ語で「岸が高く低いところを流れる川」という意味らしい。川に架かる橋の名を 「あやめ橋」というのだが、いつの頃か三笠宮が農場に巡幸された際に命名したという 記念碑が橋の袂に建っている。

 あやめ橋を渡ってさらに農場の奥へ進むと、道路脇にはえぞマツの並木のシルエット が牧草地の緑に黒々と陰りを作り、陽光との対比が清々しい。この道端には島を囲むド ーナツ型の池があって、水鳥がいない代わりに睡蓮とコウホネで水面が埋め尽くされた ような水生植物の群落がある。夏に咲き遅れた一部の睡蓮の清楚なピンクの花が印象的 であった。

 この道は北野通から車でも入れる幅があり、この池の先にある駐車場に車をパークし て牧草地の坂を上ると、瀟洒なロッジ風のレストラン「じんぎすかんクラブ」がある。 今日のような天気のよい日は、牧草地と周囲の北方樹林を愛でながらロッジ前庭のテラ スでジンギスカンと生ビールが楽しめる。八紘学園の創立者・栗林元二郎氏が満州から 野戦料理であるジンギスカンを北海道に持ち帰ったことがジンギスカン料理発祥のルー ツと云われている。

 ジンギスカン料理とサッポロビールを楽しんだ後、駐車場からさらに奥への道を辿る と、「リンゴ園」に至る。市内ではもう稀にしか見られないリンゴの木々が、ここでは 折からの秋の収穫期を前に赤い実が枝もたわわに実って壮観であった。現在はリンゴの 他にもプルーンも栽培され、こちらも青紫色の実が熟れてリンゴの実の紅と色を競い合 って収穫を待っている。観光農園ではないので直売サービスはないようだ。

 果樹園の入口に戻りここからラウネナイ川に沿う別の道を進む。300mほど歩くと 月寒川との合流点に出る。どちらの川水もまだ底が見えるほど澄んでいる。川の土手か ら一旦幹線道路「東北通」に上がって最寄の信号を渡り、こんどは月寒川に沿って歩み を進める。この辺り川沿いの遊歩道がなく、300m刻みで「白石サイクリングロード 」と「南郷通」を次々と越えていかねばならず、その度にウォーキングの楽しみが分断 される。遊歩道と幹線道路との交差について市土木課に改良してもらいたいものだ。

 南郷通の北、東白石の「あかつき橋」から月寒川沿いの河畔緑地が整備されているの で、やれやれと思って歩いていたら、国道12号線と平和通でまた遊歩道が分断されて いる。地図をよく見ると私の歩いている川の右岸ではなく、左岸にのみ遊歩道の表示が 付いていた。しかし、川の両側に緑地を設けている以上、遊歩道が片側だけというのは 何とも情けない造作だと思うのだが。なお、月寒川は、この先、JR線路を潜ってから は、流路改修工事がなされていて豊平川まで北へ一直線に流れ下る。

 お役所仕事の結果にややうんざりしながらも、月寒川沿いに下って「平和通」の北側 にあるかしわ山公園に至った。「かしわ山」という地域名称は正式なものではないが、 白石神社の東方の柏の木の多い小高い丘があったことで明治の後半からそう呼ばれるよ うになったらしい。現在もバス路線や平和通沿いの中学校名などにその名称が残ってい る。そう見れば川筋から緩い起伏が高まりを作っており、地図上での等高線では10〜 20m程度の高まりになっている。昔はもっと高かったのであろう。

 「かしわ山公園」を出て北東に500mほど歩いて道央自動車道の下を潜るとバス停 終点「北柏山」に至る。この前にJR「柏山人道橋」の南口がある。JR「平和駅」は 元々、主として貨物ターミナル駅として開設されたため、駅の南側は広大な操車場とな っている。利用客のためにこの南北の間を安全に人を渡す目的で300m長の人道橋が 設けられている。この長さは、JR苗穂駅の人道橋の2倍ほどもあって、エレベータと 屋根付きで豪華な代物である。橋のこちら端に立って反対の端を見ると私の目ではかす んでよく見えないほどだ。

 人道橋上から操車場を眺めながら北端にある平和駅駅舎にたどり着き、丁度タイミン グよく来た手稲行き普通列車に乗って帰って、6キロの歩行を終えた。なお、平和駅に はJR千歳線の普通列車しか停車しない。



(2006.09.29. 菜洗神社の静謐な佇まい)

(2006.09.29. 八紘学園農場を横断する白樺とポプラの混交林の並木道)

(2006.09.29. JR平和駅の柏山人道橋と貨物操車場。奥の白い建物が駅舎)
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